掃除で悟りを開いた仏陀の弟子
掃除で悟りを開いた仏陀の弟子 周利槃特(しゅりはんどく)
■お釈迦様のお弟子さん 周利槃特(しゅりはんどく)のお話です。
掃除の持っている奇跡の素晴らしさを表した、とても良いお話しをご紹介します。
掃除で悟りを開いたお釈迦様のお弟子さん
周利槃特(しゅりはんどく、チューダ・パンタカ)のお話です。
掃除で悟りを開いた仏陀の弟子 周利槃特(しゅりはんどく)
この画像から掃除による悟りの光が放出する 周利槃特像
仏陀(釈尊)の弟子のなかで、一番頭が悪く、愚かだといわれていたのが、
この周利槃特(しゅりはんどく、チューダ・パンタカ)という人です。
どのくらい愚かだったかというと、
ときどき自分の名前すら忘れてしまうほど、頭が悪かったそうです。
周りの弟子達からバカにされていた周利槃特は、あまりの自分の
愚かさを嘆いて、仏弟子をやめようと思って仏陀のもとを訪れます。
「仏陀よ、私はあまりに愚かなので、もうここにはいられません・・・」
その時、仏陀が彼にこう言います・・・
「自分を愚かだと知っている者は愚かではない、
自分を賢いと思い上がっている者が、本当の愚か者である」
すっかり弟子をやめようと思っていた槃特は一瞬キョトンとします。
そして、仏陀はこう続けます・・・
「おまえの一番大好きなことはなんだね?」
槃特は、「はい、私はそうじが好きです」とこたえました。
「そうか、おまえは多くのことを憶えられないようだから、
その大好きなそうじをしながら、このように唱えるがよい」
「塵を払い、垢を除かん」(ちりをはらい、あかをのぞかん)
「はい、それなら、私にもできそうです!」
「そうか、ではがんばるのだよ・・・」
仏陀にそういわれて、嬉しくなった槃特は、たまに忘れそうになりながらも、
「塵を払わん、垢を除かん」(ちりをはらわん、あかをのぞかん)
と唱えながら、箒をもってそうじをしていきます。
一年、二年、五年、十年、二十年と、ひたすらにやっていきます・・・
その姿勢に、始めはバカにしていた他の弟子達も、
次第に彼に一目を置くようになります。
やがては、仏陀からいわれたことを、ただ黙々と、直向きに、
淡々とやり続けるその姿に、槃特を心から尊敬するようになりました。
そして、ついに槃特は、
仏教でいうところの「阿羅漢(アラカン)」の境地に到達します。
「阿羅漢」とは、反省修行をおこなって、心の汚れや曇りを落とし、
第一段階の悟りを得ることです。
ある日、釈尊は、大衆を前にしてこう言いました。
「悟りを開くということは、
なにもたくさん覚えることでは決してない。
たとえわずかなことでも、徹底して行うことが大切なのだ。」
「見よ。周利槃特は箒で掃除することに徹底して、
ついに悟りを開いたではないか!・・・」
私はこのお話がとても好きです。
お釈迦様も言われていましたが、
『たとえわずかなことでも、徹底して行うことが大切なのだ』と・・・
その掃除を、カストーディアルの手によって徹底することによって、
文字通り、夢の国であるディズニーランドを創り上げた
ウォルト・ディズニーの言葉を紹介します。
「ほら、見てごらんよ。
こんなにたくさんの嬉しそうな顔を見たことがあるかい?
子供も大人も、こんなに楽しんでいるところを…
私はひとりでも多くの人に、笑顔でパークの門から出ていってほしいんだ」
私たちの夢もまた同じです。
そうじと環境整備の作法によって、みなさまの家庭や会社に
「天使が舞い降りる空間」を創造する。
そうじ道場は、あなたの家庭を、会社を、地域を、日本中を、
世界中をピカピカにしたいと思っています。
でも、実は私たちが本当にピカピカにしたいのは、
人々の「心」のほうなのです。
だってそうでしょう、ピカピカの心をもった人たちで世界中が満たされたら、
きっと、争いも、差別も、飢えも、貧困もなくなっていくと思うから・・・
それぞれの違いを嘆くのではなく、
お互いが共に理解し合い、愛し合うことができるのだという
共通の心を分かち合うことができるようになると思うから・・・
ピカピカの心をもった人たちは、きっとキラキラと輝いた
素敵な笑顔をみせてくれると思うから・・・
今日もどこかで、私たちは「そうじ」をしています。
縁あって出会った方々に、「ありがとう」の念いをのせて、
心の中で、このように唱えながら・・・
「ひとりでも多くの人に、
笑顔でお家の門から出かけていってほしいのです」